「サイエンス・パラダイムの潮流」感想

明日、井庭先生と井関さんの対談がある。


前日になってしまったが、井関さんと黒崎さんの「サイエンス・パラダイムの潮流」の最後の対談のところだけみた。その中で、特にビビっときた点を挙げる。


□コンピュータで人間の思考では到底追いつかない操作(データ分析)ができるようになった


□近代科学は「言語」というフィルターによって、世界を観察してきた。これからは、そのフィルターが「コンピュータ」になるかもしれない。コンピュータは手段や道具に過ぎないわけではない。人間の中にビルトインされたメディアそのものなのである。人間の認識能力が、コンピュータ・ネットワークに支えられて、他人の認識や知識が自分尾認識や知識になり、それが相互に関わり、さらに新しい知を再創造するようになった。これは、人間にとって、全く新しい状況。


□千年単位のスパンで科学を捉える。書物メディアと比較して、特徴を考えたりするのは初期に過ぎない。百年経って活字メディアの持つ力が分かるように、今後、コンピュータそのものがもつ力についてわかってくることになる。すると、新しい世界観が作り直され、科学そのものが作り直されていく。


□コンピュータ・システムの媒介によって認識することは、量子力学における観測問題と解釈の問題に似ている。ある実験装置を使うと粒子に見えて、別な実験装置で測定すると波に見える。この事実は、われわれの認識の仕方は実験の装置や測定の装置に依存するということが見えてきた。それが突き詰められると、そんなものを使わなくても、「言語」という一つのメディアを通してしか見てなかったのだ、それがないと、われわれ自身が認識できないのだ。コンピュータは、このように、今まで自明だと思っていたことが相対化されて、かつ、今までよく見えなかったこと、見ようともしなかったことが明らかになるのだ。



これらが示唆するのは「データの処理の仕方」の大切さだ。データは処理の仕方によって、いくらでも人間の認識の仕方を変える事ができる。

データはある。

楽しみだ。