読書メモ:「大世紀末Concept Note」坂井直樹

坂井直樹さんは、今年からSFCでデザイン系の授業を担当なさっている、有名なクリエイターだ。気になったので読んでみた。刺激を受けたのは以下の点。


ノンリニアな思考
「マルチメディアライクな思考というのは、つまるところノンリニアな思考パターンをもっています。林檎と書いて、マッキントッシュのマークが浮かんだり、アップルのいい香が頭の中に感じられたり、そういうふうにしながらわれわれの思考はドライブされていく。最終的にコトバにして提示したりするには、後先順序を整えなければなりませんが、少なくともクリエイティブな活動のプロセスは、とてもノンリニアで飛び飛びの発散に満ちています。」p23
→確かに、今のデジタル技術は、ある感覚に特化してそれをリニアに進めるものばかりだ。後輩の「カオスの足あと」の発展はここにあるかも。そして、ネットワークも。


□動機不在社会
「個人的なライフテーマは希薄なんだけれど、非常に能力のある頭脳を持っている。」p43→耳が痛い。w
「これからの時代はNo.1ではなくオンリー・ワンでなくてはならない。No.1はあくまで量的価値観の典型でこの目的には、集団の側にすでに動機や目的があって、個人の動機というのはあまり必要とされなかった。それに対してオンリー・ワンは量ではなく、質的価値観というか、個々の主張とか固有の文化とか、他の誰にも似ていないといったこと、つまりオリジナリティが最重要なわけです。」


□マルチ人間
ダ・ヴィンチ博物学者でもあったし、解剖学者でもあったし、航空機の設計者でもあったし、絵描きでもあった。だ・ヴィンチのような大天才でなくとも、人間がつくったマルチツールを使って、多くの人間が多様な能力を発揮するチャンスが生まれているということです。自らが生み出した道具によって、思考パターンや技術を拡張して行くところが面白いわけです。マルチツールをつくることによって一人の人間の中に、たくさんの自分を発見する機会はとりあえず与えられる。問題はそうした気付きをどうフォローしていくかです。」
→コンピュータ=表現領域の共通のマルチツール。


□シティメディア
都市はストックとフローの間の「可変メディア」として捉える。
→メディア「編集」というのはもともと「時間の変化」を伴うデザインである」とする松岡正剛。この「時間変化」というのが、どことなく情報を「生命」として捉える見方に似ている。


こうやってみると、デジタル技術によって、いくらでも知の再編集のしようがありそうだということがよく分かる。