「閉ざされた言語・日本語の世界」(鈴木孝夫さん)の一部について

明日、SFCにおける鈴木孝夫さんの講演を聞くに当たって、この本を読んでおこうと思った。ただ、新書のノリで30分で読んでブログを書こうと思ったのはまちがいだった。毎日のペースで読書1冊とブログ、合わせて30分以上は取りたくない。そう考えると、ペースメーカーの本は新書か軽めのビジネス書、クリエイターの自伝的な本に限る。


なので、ここでは、最後の「外国語を学ぶ意義」について。本書の最後に書いてあったこと。

それは、外国語を話す人々が、自分たちとは全く異なった不思議な考え方をしているということを知ることである。その例として、「太陽」についてredやyellowなどと異なる捉え方をしていることをあげている。

「日本の学校で外国語を学ぶということは、日本語の問題と切り離せないことになる。言葉が違えば現象の世界の切り方が違うのだということを学ぶためには、絶えず母国語との対比が必要である。」

「実用性を切り捨てた教養としての外国語学習の、真の意味は、日本語との関連において、日本語の鏡として考えられたときに、初めて生まれてくるのだ。外国語を学ぶということは、実は日本語を知ることであり、自分を知ることなのである。」


明日の講演も楽しみだ。