短い感想「はじめて考えるときのように」(野矢茂樹)

この本は、哲学者野矢さんの「考える」ということについて書かれた本だ。「考えるとは、関係性を考えること」、「規格があるから問題がある」や「ことばがあるから可能性について考えられる」という言及はとても面白かった。



・関係を考える。コップを見たとき、「飲む」という行為との関係について考える。


・問題について考えるとき、問われてそれに答えるために何をするべきか分かっている問題には、考える必要がない。問題を考えるということは、問題そのものを問うこと。


・惑星が「さまよう星」として問題になったのは、「星は円運動をする」という規格があったから。規格のない所に問題はない。
「問題の発生は、それを問題たらしめている秩序がそこに見てとられていることと結びついている。そして、その秩序を破るものとして問題は現れ、ひとは破られた秩序を取り戻そうとして問題に向かっていく。」(p73)


・「どの観察と推論を使って、それらをどのようにつなげるか、それを決めるのはもう論理の仕事じゃない。そこに「考える」ということが現われてくる。・・・。観察や論理は問題を解くときに欠かせない素材だ。だけど、それを問題に合わせて、捨てたり、選びとったり、つなげたりしていかなくちゃいけない。「ヘウレーカ」の声を待ちながらそんな作業を続けていく、それが「考える」ってことだ。・・・。できあがった解答なんかを読むと、観察と論理的推論がきちんとつながっていて、いかにも『論理的に考えました』っていう雰囲気を醸し出している。でも、それにだまされちゃいけない。できあがった解答というのは、たんに、考えた結果を論理的に再構成して表現したものにすぎない。」(p117)


・いろんな可能性を思いついて、いろいろ試してみるほど、そしてその可能性が現実から飛躍していればいるほど、ぼくらはそれを「考えている」と言いたくなるだろう。考えるということは、現実から身を引き離すことを必要とする。現実からいったん離陸して、可能性へと舞い上がり、そして再び現実へと着地する。こんな運動がそこにはなくちゃいけない。そのための翼が、ことばだとぼくは思う。」(p136)
「ことばがなければ可能性はない。・・・。それをパーツに切り分けて、あれこれ組み替えてみるところに可能性の世界が開ける。しかも、現物を動かすのではなく、現物の代わりになるもので箱庭的に試してみる。そんな可能性の世界でたわむれるには、どうしたってことばがなければならない。」(p148)


・「新しいことばだけが、新しい可能性を開いてくれる。そして、新しいことばというのも、他人からもたらされるものでしかない。ぼくらは他人からことばを教わってきたし、今も他人からことばを教わりつづけている。他人から教わるのは、まったく新しいことばでもあるだろう。だけど、もっとありがちなこととして、もう知ってるはずのことばに新しい意味の広がりを与えてくれるような、新しい見方を教わるということでもある。・・・。ひとまとまりの状況をさまざまなパーツに切り分けて、そのパーツを関係づける。そして新たな組み合わせを模索する。それをぼくらはことばで作業する。」