短い感想「マンガは哲学する」永井均

この本は、マンガでしか表現できない世界を実に哲学的にとらえている。この本の「意味と無意味」という章が面白かった。


ひとつは、不二子F不二雄の漫画がコンティンジェンシーを描いているという話。現実をコンティンジェンシーとして、つまり、他でもありえた可能性として描いているのである。

「『気楽に殺ろうよ』は、性欲よりも食欲が隠されるべきもので、殺人の権利が売買されるのがあたりまえであるような、別の世界に入り込んでしまった男の話である。・・・。そこでは、『食欲とはなにか?!個体を維持するためのものである!個人的、閉鎖的、独善的欲望といえますな。性欲とは?!種族の存続を目的とする欲望である!公共的、社会的、発展的、性格を有しておるわけです。と、こう考えれば、地球社会のありかたもあやしむに足りませんな!』」
という引用がある。
そして、この立場を、「彼の態度を見ていると、いかなる相対化の理屈も、実はそういう絶対性の上にのっかってしか機能しないことがよくわかるのである」と述べている。


また、吉田戦車の「伝染るんです」の漫画を引用し、「意図的にうかうかすることはできない」ということを解説している。ヴィトゲンシュタインとも通じる話らしい。


また、ソムリエを例に、「この味を求める」という主観的感覚と、「〜の料理に合う」という客観的感覚を論じていた。


マンガ、というのは、それでしか表現できない、一つの形なのだ。