動いていないと「想い」は育たない

SEの仕事では、仕様書や操作マニュアルのようなドキュメントをつくる作業が、全体の6割くらいを占める。文書作成を面倒くさがるSEは多いが、私は大好きだ。

どんな文書でも、「5秒以内に概要を伝えられる文書」であり、かつ「よく読んだらより分かる文書」を、自分はつくっていきたい。電子機器マニュアルや、保険の契約書、役所文書など、世の中には分かりにくい文書が多い。「とりあえず書いておく」ことで、何か起きたとき、「ここに書いてあるでしょ」と言い訳できればよい、と考えてつくっている人は少なくないからだと思う。ソフトウェアも同じだ。そんな文書やソフトウェアには、多大に怒りを感じる。

自分がやりたいことは、「読み手に分かりやすい文書をつくること」「使い勝手の良い道具をつくること」なのだと気付いた。ユーザさんが、「分かりやすい」「使いやすい」と思ってくれたら、こんな嬉しい事はない。

「やりたい事」は何か、大学のときから、ずっと考えてきた。自分が取り組んでいることが、本当に自分がやりたいことなのか、ずっと悩んできた。社会人になって、プレゼンの資料づくり、報告書作成、ユーザさんとの打ち合わせなど、「動く」ことが余儀なくされる中で、やりたいことが見えてきた。入社試験で、「コンピュータが苦手な人にこそ、システムの凄さを伝えたい」と言ってきたが、その想いは、仕事をする中で、「分かりやすい文書・システムをつくりたい」と具体化されてきた。

犬も歩けば棒に当たる。すなわち、棒に当たらない犬は、歩いていないのだ。一人で悩んでいてもだめ。人と会い、何かをつくり、遊んでいる中でこそ、「想い」は育ってくる。